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松永浩美の嫁は18歳年下(40歳)で子供は4人!現在の仕事についても

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元阪急ブレーブスの名選手・松永浩美さんは2019年、58歳で0歳児のパパになりました。

孫ではなく、”子供”なんですね。

今回は、元プロ野球選手松永浩美さんの経歴や奥様、現在のお仕事にも迫りたいと思います。

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松永浩美の嫁は18歳年下(40歳)で子供は4人

現在奥様と4人のお子様に囲まれる幸せな家庭を築かれているそうです。

昨年2018年にはブログで第4子の誕生を発表されました。

お子さんは2019年2月22日に生まれたようなので、まだ4ヶ月ということになり、なんと58歳で0歳児のパパとなっています!

松永浩美さんは前妻との離婚後に現在の奥様と結婚されたそうで、18歳の年の差婚になります。

40歳(2019年時点)の奥様とは2010年か2011年、それより以前に結婚されたようです。

現在、長男の龍太郎くん(7歳)、次男の翔太郎くん(5歳)、第3子となる長女の沙織ちゃん(4歳)という情報がありました。

そして2019年2月22日に4人目の次女、史織ちゃんが生まれました。

松永浩美さんのブログでは、お子さんの写真も多数見ることができます。

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松永浩美の現在の仕事は?

2018年6月に、松永浩美さんは奥様と3人のお子様と共に埼玉県から鹿児島県に移住しました。

それからは、南九州を拠点に野球教室で指導を続けています。

また、プロ野球選手の経歴や長年の少年野球での指導経験が認められ、文部科学省からの要請を受けて教育現場で特別講師を務めるという活動もされているそうです。

さらに、企業からは講習会やセミナーのオファーもあり、現役時代の経験談やマネジメントについての講演活動を行っています。

松永浩美さんのブログでは、野球指導や講演活動で日々多忙な様子が報告されています。

中には大物プロ野球OBとの写真があったり、お子さん達とのコミュニケーションの様子も記されています。

元プロ野球選手の松永浩美さんは、現在も後進の育成を行うなど野球に関りを持ち続けておられます。

そして、4人のお子様と奥様に囲まれ、私生活でも充実しているようです。

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松永浩美のプロフィール

  • 名前:松永浩美(まつなが ひろみ)
  • 生年月日:1960年9月27日(現在58歳)
  • 出身:福岡県北九州市八幡東区
  • 身長:180cm  体重:78kg
  • 投球・打席:右投両打
  • ポジション:三塁手・遊撃手
  • 経歴:福岡県立小倉工業高等学校 → 阪急ブレーブス → オリックス・ブレーブス → オリックス・ブルーウェーブ → 阪神タイガース → 福岡ダイエーホークス → オークランド・アスレチックス

松永浩美さんは、俊足強打のスイッチヒッターとして1980年代から90年代にかけて活躍した元プロ野球選手です。

日本人で初の左右両打席でホームランを打ったバッターとしても知られ、オールドファンにとっては元広島の高橋慶彦さんと共に印象に残っているスイッチヒッターではないでしょうか。

球史に名を残した名選手である松永浩美さんですが、実は子供の頃はサッカー少年でワールドカップを目指していたそうです。

ポジションはFWだったということなので、もしサッカーを選んでいたら、日本のワールドカップ出場も早まっていたかもしれませんね。

福岡県立小倉工業高等学校時代は外野手兼控え投手でした。

高校時代に甲子園出場はなく、高校3年生だった1978年には高校を中退しています。

同年にドラフト外で当時パ・リーグの阪急ブレーブス(現・オリックス・バファローズ)に入団しました。

しかし、この契約が選手の”囲い込み”と疑われたのか、野球協約に反していたため選手登録はできませんでした。

そのため、松永浩美さんは阪急ブレーブスの練習生兼用具係という立場を経て、翌年の1979年に支配下選手として登録されプロ野球選手になりました。

いかにも昭和のプロ野球らしいこうした”囲い込み”ですが、当時はルールのギリギリで各球団が行っていたようです。

中でも有名なのは、元西武の名捕手で現中日のコーチを務めている伊東勤コーチです。

熊本出身の伊東勤コーチは、地元の高校で野球をやっていて注目される存在でした。

その後、西武の本拠地のある所沢の高校に転校し、高校生にも関わらず球団職員として雇うという”囲い込み”を行ったのです。

話は戻り、無事プロ野球となった松永浩美さんは元々右打ちでしたが、俊足を生かすためスイッチヒッターに転向して成功します。

1981年に1軍デビューしてからはスタメンに定着し、阪急の主力として活躍しました。

俊足で盗塁王を獲得し、打率3割を超えることも多数、さらにホームランも打てるパンチ力もある、総合力に優れた野手でした。

阪急の球団名がオリックスに変わってからも松永浩美さんは活躍し続けましたが、1993年に当時の土井正三監督との関係悪化から、野田浩司投手とのトレードという形で阪神タイガースに移籍しました。

阪神加入後は大いに期待されましたが、暗黒期の阪神の負のパワーのせいか松永浩美さんはシーズン早々に怪我でチームを離れ、思うような活躍はできませんでした。

このシーズンのオフにはFA権を行使し、福岡ダイエーホークスに移籍しました。

阪神を離れる際には、「甲子園(阪神の本拠地)は幼稚園の砂場」という発言を残し、阪神ファンにはいい印象はないでしょう。

1994年にダイエーに加入してからは、阪急・オリックス時代のような活躍を見せましたが、加入から3年目以降は怪我や成績不振に陥っていきます。

1997年のシーズンオフには、自ら球団に自由契約を申し入れ、ダイエーを退団しました。

それからアメリカ・メジャーリーグへ挑戦し、オークランド・アスレチックスにテスト入団しましたが、オープン戦で思うような成績が残せなかったことから引退を決断します。

引退後は2006年、埼玉県三郷市に「松永浩美ベースボールアカデミー」を開くなど、後進の育成にあたりました。

2014年には、BCリーグ・群馬ダイヤモンドペガサスの野手総合特別コーチに就任しました。

2015年からは、埼玉県川越市の「夢グループ野球塾・川越校」で小中学生の指導したりと、野球に携わり続けています。

以上、今回は元プロ野球選手・松永浩美さんについて紹介させていただきました。

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まとめ

  • 松永浩美さんは阪急・オリックスなどで活躍した元プロ野球選手
  • プロ入り後は俊足を生かしてスイッチヒッターに転向
  • 日本人初の左右両打席でホームランを打った
  • 引退後は埼玉県で少年野球の指導を行ったり、独立リーグでコーチを務めた
  • 2010年か2011年頃に18歳年下の女性と再婚し、4人の子供がいる
  • 第4子は2019年2月に生まれたばかり
  • 2018年からは家族で鹿児島県に移住し、南九州を中心に野球指導と講演活動を行っている
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